World Destruction
〜かくして繁栄の時は終わりを告げる〜


  久しぶりのパリである。モントルグイユはモネも描いたパリジャンに人気の通りである。エスカルゴ・モントルグイユで名物のエスカルゴ料理を楽しむのもいいが、今日は、業界人や芸能人御用達のカフェ、エティエンヌ・マルセルに席の予約がある。マネージャー・ミーティングに出席するため丁度パリを訪れていた旧友の欧州系投資銀行の債券セールスマン氏と再会できたので、彼に今回の語り手を頼むとしよう。
目の前の通りを、この夏に導入された貸し自転車が走り過ぎていく。パリの風に乗って街を走るのは、さぞ気持ちの良いことであろう。しかし、今の彼の表情は暗い。セールスマン氏は、この数年間証券化商品を売りさばくことで成功してきた「世界最大級の銀行や証券会社、シティやメリルのCEOの首が飛ぶんだ。物凄いことになっているのがよくわかるだろ?」彼は最近の金融危機について語り始める。


  債権投資の世界では、長期債で要求されるスプレッドは短期債より大きいので、短期で調達して長期に投資すれば、一定の利潤を必ず得られる。これを専門家風に気取って言うとクレジットカーブの期間構造を利用したアービトラージという。イーサン・ペナーが行ったCMBSビジネスも似たようなものである。厳しい収益環境の中で、この利潤追求のため流行したのが、ストラクチャード・インベストメント・ビークル(SIV)である。SIVは、CPや中期債を発行して資金を調達し、その金で信用度の高い資産に投資する仕組みである。業界的には1988年にシティが手がけたものが第1号だという。銀行は短期の預金で長期の貸出を行うので、発想自体は自然なものだったのかもしれない。SIVの利点は、銀行にとってはオフバランス取引であり、スポンサーのヘッジ・ファンドにとってはレバレッジである。彼は大手投資銀行作成のチェーン・キャピタルのSIVの商品案内書を用意していた。チェーンは、1999年に設立されたロンドンに拠点を置くヘッジ・ファンドである。社員は150人。その運用資産は約340億$である。このSIVは7人のプロが運用し、2005年6月に活動を始め、1年後には75億$にまで膨れ上がった。


  再びパンフレットに戻ろう。チェーンのSIVは、最上格付のCPや社債69億$を発行し、A格のメザニン・キャピタル・ノート約4億$と無格付のジュニア・キャピタル・ノート8000万$を発行する。チェーンの出資は僅か1%。このような重層的なファイナンスにより、調達コストは低くなる。SIVはレバレッジも機動的に変更できるし、資産売買も自由である。ただし格付維持のため、予め用意された仕様書に基づき取引を日次でモニターし、モンテカルロ・シミュレーションを駆使して資産内容を、AAA格の倒産確率と等しくなるよう管理しつつ、トレーディング利益を追求しなければならない。しかし投資家が常にCPに投資する保証はない。そこで銀行と流動性供給契約を締結する。この案件は、ホーム・エクイティー・ローン証券化商品を組み入れた初めてのSIVである。その割合は総資産の34%。この他CMBS、RMBS、CDO、クレジットカード債権やら学生ローンまで証券化商品なら何でも入っている。良い格付のためには分散が大切だ。ただし、投資対象はAAA格が64%、BBB以下は購入しない。安全な高利回り商品に分散投資するSIVは投資家から高い評価を受けた。CPは公社債投信(MMF)が買い、キャピタル・ノートは世界中に販売された。ヘッジ・ファンドは僅かな資本で巨額の投資を行い、銀行と証券会社は自ら組成した商品をSIVに放り込み、更にSIV商品の販売手数料や流動性供給手数料で潤った。その市場規模は、大手格付機関フィッチが2006年11月に開催した、グローバル・セキュリタイゼーション・カンファレンスによると、年初の2,000億$から10月には2,650億$以上に増加した。マネージング・ダイレクター、J・D・マーレイは、「市場のリスクは変化しつつあり、投資家に必須な知識はますます複雑になっている」と述べている。2007年3月欧米大手銀行上位10行関連のSIVによるCP発行残高は約4650億$で、彼らの株主資本に匹敵する規模であった。


  ところがサブプライム危機により、証券化商品の価格が軒並み低下した。発端は2001年のエンロン倒産の時と同様、格下げのアナウンスだった。過去上昇を続けた住宅の価格上昇が頭打ちとなり、2007年3月にはローンの延滞率高まりにより、サブプライム・ローン融資専業大手のニューセンチュリー・フィナンシャルが、上場廃止となった。この状況変化が原因のRMBS格下げに投資家がショックを受けた。ポートフォリオの中にどんな危険物が入っているかわからないと疑心暗鬼に陥り、彼らの発行債権の購入をやめた。SIVは借り換えができず資産処分を迫られ、これが資産価格の低下に拍車をかけ、さらに投資家がいなくなるという悪循環が起きた。ザクセン州立銀行救済劇もIKB破綻もSIVの調達難から始まった。チェーンも、銀行ファシリティーにより11月まで流動性を確保し、資産売却中と発表する。金融界に衝撃が走った。これが8月危機である。


  こんなことになると誰も想定してなかった。金融技術は、流動性が低く値段の無かった資産に市場価格を与えた。しかし格付という品質表示マークに全ての責任をなすりつけて、流動性が低く情報開示が不十分な商品を流通させたつけにより、マークが信頼を失った時、市場は機能停止した。昨今の産地偽装問題と同じである。「事件の根は深い。」と彼は言う。現在金融機関でリスク管理の基本ツールはバリュー・アット・リスクであり、市場価格による評価(マーク・トゥー・マーケット)である。格付が信頼を失い、叩き売り価格により、バランスシートが劣化すると、SIVは、マニュアルに従った硬直的な売却を強制され、損失拡大を避けることができない。1987年のブラック・マンデーの際、機械的に売り注文を続けたポートフォリオ・インシュアランスと変わらないのだ。このシステムでは資産価格下落時に逆張りをする者は現れず、投売りが自動的に発生する。全員が同じ行動をした時、誰が最後にリスクを負担するのかという、誰もが考えることを避けていた問題が、またも蒸し返されたのである。証券化商品は値崩れしたまま、未だ買い手は現れない。手持ちの在庫処分の後には大量の首切りが待っている。友は嘆く。「かくしてハイ・ファイナンスの世界は崩壊した。」
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