Damb Squib
〜天才ファイナシャル・エンジニアのたった一度の失敗〜


  南太平洋の美しい島々の中でも、珊瑚礁に中心にオテマヌ、パヒアの2つの峰がそびえ立つボラボラの景観は特別である。楽園フレンチポリネシアのボラボラは、タヒチ本島の北西260kmにある。空港から約20分ボートに乗るとル・メリディアン・ボラボラに到着。この最高級のリゾートではダイビングに興じるのも楽しいが、ラグーンに面したレストランのテーブルで、地元のヒナノビールを味わいながらゴーギャンの作品に思いを馳せるのも悪くない。だが楽しい休日を演出するリゾートも投資ビジネスの戦場になりうるのだ。


2001年5月、野村インターはプリンシパル・ファイナンス・グループ(PFG)による、老舗ホテルチェーン、メリディアンの買収を発表した。同社は、全世界55カ国に40000室、150のラグジュアリーホテルを経営していた。1972年にエール・フランスが設立したメリディアンは1994年末フォルテ社に買収されて以来、そのオーナーは変遷した。
2001年の持ち主、コンパス社はコア・ビジネスに集中する為、ホテル部門の売却を決定する。PFGを率いるガイ・ハンズは接戦の末、強敵マリオットを蹴落としてこのホテルチェーンを手に入れた。買収総額は19億£(約3240億円)。2000年9月のメリディアンの営業利益は1.7億£、買収額はEBITDA倍率の約10倍。マリオットは「今回に限ったことではないが、買収価格が高すぎて収益を生むのが難しい場合は、手を引くのが我々の方針である。」とコメントした。


  証券化を利用して、欧州でパブや公務員住宅、列車リース事業等に対する投資を次々と成功させ、金融技術の魔術師と呼ばれるガイは、この取引でも複雑な資金調達を実行した。PFGの2.27億£を中心に共同投資家、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)、アルケミー・インヴェストメントとアビー・ナショナル、さらに前スターウッドのCEOとしてウェスティンの経営に力量を発揮したユーゲン・バーテルから約3.9億£が集められた。この出資金に加え、RBSからセール&リースバックによる12.5億£、そしてCIBC、メリルリンチからのブリッジ・ローン、リーマン・ブラザースによるメザニン・ファイナンスが残りを賄った。この投資は大規模なバリューアップ・プランを前提としており、その工事中は現金の不足が見込まれていた。そのためRBSの貸金には追加投資資金、ブリッジには運転資金の融資枠が組み込まれ、メザニンはPIKという仕掛けが採用された。しかしこのPIKとは、現金で金利を払わない代わりに未払いの金利が元本化していくもので、当初の16.5%の金利が、3年後には18.5%になるという恐ろしい高利の借金であった。


  ガイが、メリディアンに目をつけたこと自体は悪くなかった。彼のコンセプトは何時も、破綻企業の再生より不振企業の業界標準への復帰である。アメリカホテル&モーテル協会は、1999年度の業界の総収入は歴代最高値と報告していた。ヨーロッパも好調で、1999年に3億9千万人の観光客が2,750億ユーロを使っていた。しかしITバブル崩壊による経済の停滞化傾向、石油価格の高騰、ITシステムの導入等ホテル経営をとりまく難問は山積していた。度重なるオーナー交代に疲弊していたメリディアンは効率的なマネジメントでその価値を高められる、とガイは判断していたのだ。


  しかし、ジム・ロジャースの言う通り、投資は正しいことを正しい時に行わなければならない。当初から予定していた55億£の客室5000室のリノベーション投資に加え、9・11アタック、SARS次々と予想外の災難がホテル業界を襲った。2002年には早くも財務危機が始まった。2003年8月メリディアンは経営再建の一環として、グロブナーハウス等11軒のホテルに関するRBSとのリース契約を終了させた。その代わりに、メリディアンはリーマンとハイアットから1億£の金融支援を受けた。
しかし状況は改善せず、利払いは滞った。翌年1月リーマンは世界的なホテル企業スターウッド・ホテル&リゾートと共に13億$相当の上位負債を購入し、債権者として経営に介入する。独占的資本注入の交渉が始まり、リーマンとスターウッドは、2005年11月24日、約2億2500万$でメリディアンを取得したことを正式に発表した。追加分を合わせてPFGが24.5億£を投じたホテル群は、ポンド換算想定19億£弱でリーマンとスターウッドのものになった。この一件で、比類なき実績を誇るディール・メーカー、ガイ・ハンズを一敗地に追い込んだメザニン・ファイナンスとは一体何者であろうか?


  メザニンとは株主資本と負債の中間に位置する劣後負債を言う。これはハイリスク・ハイリターンの出資と確定利付きの債務の中間的な性質を持ち、返済順位は上位債務の後になるが、金利は高くなる。また、高いリスクに見合う見返りを得るため、将来の投資リターンの一部を、例えばワラントの形で分配を受けるような仕組みがされていることが多い。一方でリスク管理のため、自らが買収先の経営権を奪取する権利を留保することがある。市場が活況を呈してくると、事業や資産の価値も上昇する。しかし銀行や社債による資金調達には限度がある。購入者側も投資リターンを考えると、際限なく出資額を吊り上げることも出来ない。そこで出資と債務のギャップを埋める為にメザニンが多用される。1998年のロシア危機以来ジャンクボンドに代わり、このメザニン・ファイナンスが注目されている。1998年に約1.5兆円の市場規模が、2002年には3.7兆円にまで拡大したという。


  2007年4月13日、モルガン・スタンレーによる全日空傘下13ホテル2813億円の買収が公表された。「落札価格は収益還元法では説明できない。」
と参加関係者が語る驚愕の値段であった。メリディアン同様に複雑な資金調達スキームが立案され、多額のメザニン・ファイナンスが供給されるのであろう。モルガンは巨額の富を得るかもしれないし、苦労して手に入れた事業を債権者に強奪されるかもしれない。その時巨大なホテル施設と従業員、それらを愛した顧客の運命はどうなるのであろうか。


  ポール・ゴーギャンの遺作となった1897年の作品には思索的な趣がある。そのタイトルがまた素晴しい。

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか。」
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