Death Spiral
〜溺れる者が掴む藁〜


  まるで10年前のように上場企業の破綻が続く。金融危機とこれに伴う景気後退共に、かつて世を席巻したバルチャー・ファンドが日本に舞い戻った、と騒ぐ人間もいる。しかし、それにはまだ気が早すぎる。弱った企業で一稼ぎしようと考える人間は幾らでもいるのだ。今日は死肉を啄ばむハゲタカの前に、経営不振企業を喰い物にする者達の話をしよう。


  2004年名門三菱自動車(MMC)は存亡の危機に喘いでいた。三菱重工(MHI)の1部門としての同社の歴史は1870年にまで遡ることができ、歴代社長の中には第二次世界大戦で活躍した零戦の設計技師もいる。同社は1988年に上場し、株価は1440円を付けた。しかし、2000年のリコール隠し事件以来社の信用は失墜し、遂には提携先のダイムラー・クライスラー社からも見放される事態となった。7月15日、MMCは総額4960億円の第三者割当増資を実施した。A種優先株が三菱グループ及び新日本石油に割り当てられ、更に東京三菱銀行(BTM)が900億円、三菱信託銀行(MTB)が400億円の融資債権をデッド・エクイティー・スワップ(DES)でG種優先株と交換する。次にフェニックス・キャピタルという事業再生ファンド、が1000億円の普通株を引き受ける。最後に投資銀行JPモルガン証券(JPM)が優先株1260億円を引き受けた。優先株とは利益の配当や解散時の財産分配を普通株よりも優先して受ける権利を持つが、JPM向けの第1〜3回のB種優先株には転換価格の下方修正条項というおまけが付く。その内容は以下の通りである。@あらかじめ決めた10日間の平均株価で最初の転換価格を決定。Aその後は毎月10日、直近5日間の平均株価の93%(前月と比較してより安い価格)で転換価格を決定。B株価の急落の際は、直近5日間の平均株価の93%を採用。
転換価格は株価に連動するので、株価が下がれば転換株数は増加する。第1回の転換価格は7月16日〜30日の加重平均(VWAP)で決まり、転換可能日は8月10日である。


  その後何が起きたのであろうか?7月15日増資完了のニュースにも拘らず、MMC株は急落した。売買高は6750万株、下落率は前日比14.4%。さらに29日財務省への大量保有報告書でJPMがMMC株66%を保有していることがわかった。7月15日に137円だった株価は30日には97円になった。さらに8月3日には、7月の新車販売台数が3カ月連続で前年同月比5割超の落ち込みとなり、株価は一時78円まで下落した。4日、BTMから派遣された市川CFOは記者会見で、第1回B種優先株420億円の転換価額が106円に決まったことを発表した。


  この手の下方修正条項の付いた転換社債や優先株は、90年代末期頃から日本でも見られるようになった。アメリカ生まれのフロアレス/フローティング・コンバーティブル・ローンが原型である。日本では2004年、ライブドアが日本放送の株を大量購入した際に、大きく報道されて有名になった。下方修正条項付き優先株(MSPS)は、株価の下落時に入手できる普通株が増えるため、その価値は低下しにくい。一方株価が上るとMSPSの価値は上昇するので、コール・オプションと似た経済性を持つと言える。ただ、この手の商品を手に入れたプロは、じっと株価上昇を待つようなことはしない。より荒っぽい稼ぎ方をする。
JPMの66%は借株と推測できる。それだけ株を持っていれば負けはないので、空売りを仕掛けて株価を押し下げ、最後に優先株を普通株に転換する。これを現渡しして売りポジションを解消すれば、売却価格と転換価格の差額分だけ利益を得ることができる。株価が100円を割ると年金運用から外されるルールがあり、売りが加速した可能性もある。
こうしてJPMは10日に転換権を行使して8800万株の普通株を即日売却した。それによって得た利益は軽く10億円は超えそうである。1ヶ月足らず、420億円の出費に対する見返りとしては十分であろう。


  MSPSの発行は、仕掛け的な売りを呼び寄せる。そうでなくとも、株数増による希薄化で、株価には下方圧力が避けられない。同社のホームページにはMSPSの詳細の説明はない。広報担当は「東証に必要な開示をした。」と言うのみである。市川CFOはビジネス誌の取材で、「増資を決断した時、再生には4500億円は必要だと判断した。調達出来なかったなら当社の将来はなかった。増資スキームだけを議論するのは、木を見て森を見ないものだ。」と言い放った。では、MMCのその後を見てみよう。この増資から半年も経たない2005年1月28日、同社は再度増資を発表した。販売不振や海外資産の減損処理で税引き後利益が4720億円の赤字となる見込みとなり、恥も外聞もなく、またもグループに支援を要請したのだ。追加増資はMHIが500億円、三菱商事が700億円、BTMがDESの500億円を含む1500億円を引き受ける。三菱商事は2005年度も300億円の資本増強に応じ、さらに日本政策投資銀行からの500億円を含む2400億円を新規に借り入れる。合計5400億円。結局MSPS発行は、既存株主の犠牲により、問題の先送りを繰り返したに過ぎなかったのだ。その後株式市場の回復に伴い株価は回復した。2005年12月8日、フェニックスは保有する5億2500万株をJPMとブロック・トレードし、500億円ほどを手にして投資を手仕舞った。売却価格は、この日の終値272円より約2割安い210円程度と推定される。JPMは日付の変わる前に海外の機関投資家数十社に転売し、更に数10億円は儲けた様子である。本家アメリカでは多くのIT企業がこの株価下落の連鎖を呼ぶこの種のファイナンスに手を出して最後を迎え、死の螺旋と呼ばれた。しかし、その後のMMCはMHIの本格的肩入れにより、再建に向けて血の滲む努力を続けた。MMCの2006年度の連結決算は売上高2兆2028億6900万円、経常利益は185億4200万円、純利益は87億4500万円と黒字を達成した。更に翌2007年は、売上高は前年度比22%増の2兆6821億円、営業利益は同170%増の1086億円
となった。


  8月13日アーバン・コーポレーションの民事再生申請は株式市場にショックを与えた。負債総額2580億円。不動産株は急落した。同日、別の衝撃的なニュースが続く。それは同社が開示した、BNPパリバとの不可解なスワップ契約による特別損失である。これもまた株価の下落により、相手を稼がせる内容であった。スキームの形は様々に姿を変えるが、他人を儲けさせながら、自らの首を絞めていくこのファイナンスにはいつもニーズがあるようである。
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