How can I live my life this way
〜快男児ジム・ロジャース、投資の荒野の冒険者〜


今日は偉大なる冒険家にして、愛すべき自由人、バイクに乗った投資家、ジム・ロジャースの話をしよう。

ジムは1942年に、どこまでも荒野の続くアラバマのデモポリスという小さな町で生まれた。
「いつもこの田舎町を飛び出して、世界を見て回ろうと思ってたんです。」
ウォール街でのアルバイトで国際金融の世界に魅せられた彼は、アナリストとしてデビューする。
「あまり社交的な人間ではないんでね。机に向かって本を読んで考え事をする方が向いてるんですよ。」
やがて彼は小さながらも企業や富裕個人投資家相手の資産運用に定評のあるアンホールド アンド エス・ブライシュローダー社という証券会社でジョージ・ソロスと出会う。

1969年彼はソロスの最初のパートナーとして、400万$でソロス・ファンド(後のクォンタム)の設立に参加した。この名コンビは10年間休みもとらず、チャンスがあればどんな取引にも手を出して、70年代の国際金融市場で暴れまわった。ターゲットはジムが選び、トレーディングはソロスが行う。
72年の金融不況、石油ショック、食糧危機、防衛産業復活等を利用して彼等は勝ち星を積み上げていく。ジムの戦略はトップダウン・アプローチである。物の価格は結局は需要と供給が決定することであり、誰にも管理出来ないものだ。ジムは目先の情報に踊らされず、いつも長期的、構造的な変化に注目する。
「我々の身の回りはいつもチャンスに溢れています。皆さんそれを知らないだけですよ。マクドナルドがチキンのメニューを始めるだけでも、鶏肉業界では100年に1度しか起こらないビッグチェンジなんです。」
ジムは5カ国の新聞、40の一般雑誌、80の業界誌に目を通し、数百社のレポートを読んだ。需給関係の徹底的な分析をして、巧みにショート・ ポジションを使いこなし、高いものは売って安いものを買う。
他のヘッジ・ファンドがアメリカ株にしか興味を持っていなかった時に、彼は世界中の株式、債券、通貨、商品相場を追いかけていた。

彼にもいくつかの失敗はある。中でもユニバーシティ・コンピューター社の1件では相当痛い目に会っている。1970年ジムは、株価が80$から40$に下落した時、50$で空売りを開始した。
借りた株を売って、下がった所で買い戻せば、下降する市場の中で大儲けが出来る。ただしこの取引のリスクは大きい。50$で買った株が0になっても損失は50$である。しかし、50$で売った株が上昇を続ければ、損失は青天井で増加していくこととなる。同社の株価は2$になる前に96$の高値を付けた。彼は有り金の総てを失うというこの敗北で貴重な教訓を得た。マーケットは期待通りには動かないし、期待通りのタイミングでも動かない。
「投資の世界では正しいことを行うだけでは成功しません。つまり正しいことを正しい時に行わなければならないんですよ。

ファンドは80年には2億5000千万$、11年で3365%という驚異の成長を遂げた。80年の絶頂期に、彼は自分の分け前1400万$を受取り、舞台を降りる。
あまりに巨大になったファンドは投資対象が限定された。根っからの自由主義者のジムはそのことが気に入らなかった。「もう金のための仕事はやめようと思ったんです。」
37才で引退して以来、彼は定職を持たない。
そして失われた時間を取り戻すため、彼は冒険の旅に出る。
86年と88年の実験的な中国旅行の後、90年にバイクの旅は始まる。
3月にニューヨークからアイルランドに向けて出発。ヨーロッパを横切ってトルコからシルクロードを走破し、5月に当時のソ連に入り共産主義の崩壊を目の当たりにする。「20世紀の100年にわたる壮大な実験の結果、政府は繁栄や富を創出することが苦手だ、とはっきりしたんですよ。
政府は消防、警察、外交等最小限の機能に徹するべきですね。」
中国を経由して6月に来日。「規制が多過ぎますね。規制を撤廃していくと賢い人達が自分の利益を拡大するために、あらゆる能力を駆使して商売を広げていきます。自由に店を持てたり、価格設定できたりすることが重要で、公共投資で景気が良くなることはありません。」
冬将軍を避けるため、8月の間にシベリアを横断。10月から翌年4月にかけてはアフリカ大陸を縦断する。
「皆忘れているけど1960年当時、共に農業国だったガーナはタイより裕福だったんです。その後のガーナは外国資本を接収して国営化を進めたけれど、最後には援助を求め最貧国となりました。国境と通貨を開放し、海外の資本と技術を受け入れたタイは経済成長を続けてます。」
湿気の高いザイールでは平和部隊のボランティアが無意味な井戸をせっせと掘っていた。「援助は役に立ちません。無意味ですね。給与の保証された世界銀行の人間の作る開発プランと自分の金を投資する資本家とでは真剣さが違います。結局市場を解放して、競争力のある、産業を育成するしかないんです。繁栄するビジネスなしに国が栄えるわけがありません。」
南アフリカはダイヤモンドを発見したセシル・ローズが整備した交通インフラにより、アフリカ大陸の経済の中心地となっていた。富の増大のために資本、時間、エネルギーを投入しリスクをとるガッツのある企業家が必要なのだ、とジムは言う。雇用確保を先行投資より優先させ羊毛の価格維持を行い、国家財政を破綻させたニュージーランドは再建の最中だった。
「政治家はいつも目先の票集めのために国の運命を売り渡してしまうんです。」
6月にアルゼンチンに到着。1900年にはアメリカよりも豊かだったアルゼンチンは、その膨大な資源を外国に売って宴を楽しんだ。一方その間、アメリカはこつこつと工場を建設していた。彼我の実力差が逆転した時、アルゼンチンは保護関税、規制、為替管理で辻褄を合わせようとして、空前のインフレに苦しむことになった。ジムはアメリカ大陸を北上し、11月にNYに帰還。その後も92年の夏にはカナダ、アラスカ等彼は6大陸を駆け回った。6万マイルに及び、この旅はギネスブックにも記録されている。勿論行く先々でも投資することは忘れない。中国西域では開発の進展を目にし、遊牧民の減少によるカシミア価格の高騰を予測し、ボツワナでは通貨交換の自由さにその国の将来を確認し、出来たばかりの株式市場で全銘柄(といっても7つ)に投資。エクアドルは買い。パナマは売り。
バフェットが企業を丸ごと買う男ならば、ジムは国ごと投資対象にする。

マンハッタン島アッパーウェストサイドのハドソン河に面した豪邸が彼の本拠地である。サウナ、4つのキッチン、ジャグジー、バーベキュー・ガーデン、ゲストルーム。「友達はNYに来ると必ずこの家に泊まるんだ。何しろ部屋がいっぱいあるからね。」普段のジムは、自分の資産を運用する傍ら、マネー・コンサルタントとしても活躍している。人前に出る時のトレードマークは蝶ネクタイである。
「投資の王道は1年で倍になる株を買うことです。」
「買ったら売らないで、何時まででも持ってるんです。だから途中で上がろうが下がろうが関係ないですね。」
「投資の原点は金を失わないことです。複利こそが力であり、浮き沈みの激しさよりも着実に資金を増やすべきです。」
「保有銘柄は極力少なくすべきだね。どれが上がるかわからないからみんな買うという考え方はすべきじゃありません。徹底的に調査して上がるものを買い、下がるものを売ればいいんですよ。」
コロンビア大学のビジネス・スクールで証券分析の教鞭をとるくせに生徒達に言う言葉はこうだ。
「ビジネス・スクールなんかに来てはいけません。世界を旅し、そして自らビジネスを始める、それ以上に勉強になることはありません。」

ジムのメッセージは簡潔にして明快である。
「人生は短い。遠くまで行け。そして深く考えよ。」
現在彼はミレニアム・アドヴェンチャーと名づけた、スポーツカーでの2度目の世界1周旅行の途中である。旅の様子は彼のweb-siteで知ることが出来る。
http://jim@jimrogers.comをクリックすれば、砂漠の中の町で現地の友人達と写真に収まるジムを確認する事が出来る。
こんな風に生きるのはどんなに楽しいことだろう。
もしも彼とコンタクトが取りたければjim@jimrogers.comへメールを送るといい。


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