Dusk
〜静かなる主役の交代、インベストメントバンカーの黄昏〜


  半年振りのマンハッタンは、インディアンサマーの暖かい日が続いていた。「先週はかなり寒かったんだけどな。」と言うローカルの債券トレーダーとトライベッカでベトナム料理を楽しみ、彼の行きつけの38丁目のバーへとはしごする。9.11アタックで命を落とした消防士を称える名を持つそのバーで、彼はスコッチのロックを片手に語り始める。「この目で常識だと信じていたものが崩れ落ちるのを見たんだよ。もうあの日のことは忘れられない。旅客機がツインタワーに衝突したその瞬間、俺はキャンターのトレーダーと話しをしていたんだよ。」キャンター・フィッツジェラルドは米国債の大手取引業者である。ワールド・トレード・センターにあった本社は、その日直撃を受けたのだった。


  物事の移り変わりが速い金融の世界では、常識というものの命は長くは続かない。ITバブルと大型M&Aブームの最中の1999年、投資銀行は得意の絶頂にいた。投資銀行とは、1933年の米グラス・スティーガル法によって銀行・証券業務が分離されたことによって生まれた株式、債券の引受を主業務とする金融機関である。預金を集め、融資する商業銀行とビック・ディールを追い求め、機動的、集中的に案件を仕上げる投資銀行は、農耕民族と狩猟民族に例えられることもある。投資銀行は高度な金融技術を駆使し、世界に名だたる大企業に価値あるアドバイスを提供し、M&Aやらデリバティブ商品の販売やらで目も眩むような利益を享受し、バンカー達は皆人も羨む高額のサラリーを受け取っている、というものが一般的なイメージであった。実際大手投資銀行メリル・リンチのCEOデヴィッド・コマンスキーは1400万$(16.5億円)の報酬を手にしていた。ある週刊誌は大手銀行の合併とその再編を評して、松(高収益かつ高給)=投資銀行、竹=法人向け商業銀行、梅(つまらなく儲からない)=リテール銀行等と書いた。元本保証の預金をベースにした商業銀行はリスクの取れないビジネスであり、高いリスクに挑戦できる投資銀行には勝てないというのが、この頃の常識であった。


  そして5年が過ぎた。2004年10月17日のNYタイムスに奇妙な記事が掲載される。投資銀行の王者メリル・リンチとモルガン・スタンレーの収益が共に伸び悩み、その結果株価も低迷している、両社の時価総額は500億$程度であり、総合金融グループのJPモルガン・チェースの1/3、シティの1/4、程度である。彼らは格好の買収対象となりつつある、というものがその内容である。90年代後半、証券市場が好調だった時、投資銀行の収益は商業銀行を凌駕していた。しかし現在の環境は彼らに厳しい。市場のトレンドは2000年から逆流を始めた。引受収入もM&Aも下火になり、自己勘定取引も大きなダメージを受けた。ネット証券の台頭はリテール部門を不振に追い込む。膨大な資産を背景とする商業銀行は、彼らの領域を侵食する。元モルガン・スタンレーのバンカーで英銀行グループ、バークレイズの投資銀行部門を率いるR・ダイアモンドは語る。「商業銀行と投資銀行の長所を兼ねたビジネス・モデルの方が優れている。」
更に2002年からの住宅ブームは商業銀行に空前の追い風となった。2000年を指標にするとメリル、モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックスの投資銀行御三家の株価パフォーマンスは中堅のリーマン・ブラザースやベア・スターンズにも劣る。97年に26.8%あったメリルのROEは今や15.9%である。それではエリア、業務の双方で営業基盤の拡大を図ったJP、シティといった1兆円クラブのグローバル・バンクが勝者になったか、というとそうでもない。巨大金融コングロマリットと化したシティは、日本のプライベート・バンキング部門の不祥事に見られるように、その収益至上主義が世界各国で問題を引き起こしている。JPも合併効果を生かせず、プライベート・エクイティ投資も失敗し、その業績は不振である。結局現在の米国では、集中と選択を行い、自己資本を充実させ、リスク管理を徹底した上で、こつこつと個人顧客に良質なサービスを提供してきたバンクオブアメリカ(BOA)、ワコビア、ウェルズ・ファーゴと言った大型地域銀行が次第に存在感を増している。


  スーパー・リージョナルバンクと呼ばれる大型地域銀行は、低リスク・低リターンのビジネスという常識への挑戦を続けてきた。「効率化のみでは失敗する。顧客主義を貫くべきだ。」99年当時ウェルズ・ファーゴの副社長だったアナット・バードは語っている。事実小売業の経験もある同社のCEOコバセビッチはコンビニエンス・ストアのビジネス・モデルを商業銀行に持ち込もうとしている。「リテール・ストア同様に、銀行店舗も単位面積当りの収益極大化を目指さなければならない。」というのが彼の持論である。BOA副社長のジェームズ・ジャクソンは、「ディズニーランドのように、笑顔でお客様に接することが大事なんだ。銀行員は、顧客の前ではショーを演じる役者と同じだ。」と熱く語る。こうしてノース・カロライナやオハイオといった田舎町に本拠を構え、華々しい投資銀行業務や海外業務よりも顧客に優良なサービスを提供することに専念する、という地元密着型経営を選んだ。彼らは今、軒並み10%台のROEを維持するために必死な投資銀行に対して、 20%台の収益性の高さを誇示する。常識は破られたのだ。

  ゆっくりブランチでも楽しもうと、ザガットでも評価の高いカネーギー・ホール近くのホテルのレストランに出かければ、今でも身なりの良い投資銀行スタイルの紳士達が商談に花を咲かせている姿を見かけることは容易い。しかし何時でも変化は目に見えない所で静かに進んでいる。モルガン・スタンレーのCEOフィリップ・パーセルは「銀行の攻勢には注目しているが、競争力には自信がある。」と言う以外に同社の将来を語っていない。投資銀行は高いリスクを追求する割りに収益が不安定な損なビジネスだ、という新しい常識が生まれるのも決して絵空事ではないのかもしれない。いずれにせよ金融界の常識の命は短いのだ。
inserted by FC2 system