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~会計の歴史は不正の歴史~


  企業活動でも投資の世界でも新興国がブームである。行った事も見た事も無い国の訳の分からない事業に大金が投じられる。何故、そのような投資が可能になったのだろうか?それは資本と経営が分離し、財務諸表によって投資家は事業の報告を受け、損得以外の煩わしい事象から解放されたからである。


  中世ヨーロッパでは、商売を蔑む教会は利殖を厳しく戒めていた。そこで、資産運用を行う富裕者は奴隷に商売させ、組合契約により匿名で冒険商人に資本を提供した。受託者は、商売結果をスポンサーに報告する必要がある。こうして簿記が発展した。13~14世紀にイタリア商人達の間で形作られた複式簿記は、資金収支だけでなく財産全体と損益の状態を把握できる利点があり、15世紀ルネッサンス期に体系的な技術に発展した。当時は十字軍の時代である。数万のヨーロッパ人が聖地奪回の為に、大陸を横断した。彼らは補給を必要したので商人が同伴した。また、遠征から戻った兵士達は、異国の物産に対する嗜好を持ち帰り、その需要は交易を発展させた。フローレンス、ヴェネチア、ジェノバ等の諸都市が中継基地として発展し、貨幣経済への移行により商人が台頭した。ルカ・パチョーリは、この時代のヴェネチアの僧侶、数学者である。
1494年に彼は、世界最初の印刷された複式簿記の文献「算術、幾何、比率及び比例要論」(ズンマ)を、ウルビノ公グイドバルドの後援により上梓し、その一編の「記録・計算詳論」で取引の貸借記入、元帳転記、試算表作成等について記述している。同書ではギャンブルの研究も紹介しており、確率を数学分析した初の文献であるとも言われている。彼はレオナルド・ダ・ヴィンチと共に幾何学の研究も行った。複式簿記は原因と結果という取引の2面性に着眼し、取引を資産、負債、資本、費用又は収益の何れかに属する勘定科目を用いて分類して、借方と貸方に同じ金額を記入して、組織的に計算・記録する方法である。ズンマは1543年にインピンにより、各国語に翻訳された。大航海時代に入り、商業覇権が北部ヨーロッパに移ると、簿記研究の中心はイングランド産毛織物やポルトガル船が運ぶ香辛料を扱うアントワープやハンザ同盟との貿易で栄えるアムステルダムに移った。オランダでは東インド会社等の大組織が生まれていた。


  資本委託者への報告である簿記の歴史は、不正やごまかしとの戦いの歴史でもある。18世紀、産業革命により商業資本主義から産業資本主義へと推移すると、複式簿記はイギリスで近代会計学に発展した。その契機となったのは不正会計で株式投機を煽られ、多数の市民が財を失った南海会社事件である。1920年代のアメリカでも不正会計が横行し、1929年の大恐慌以降、監査制度が整備された。しかしその後現在に至るまで、制度の裏をかき、会計書類に細工を施す人間は後を絶たない。粉飾決算とは人為的に数字を操作した不正な会計処理に基づく、虚偽の決算をいう。その主な目的は、金融機関、取引先からの信用維持、株主対策、裏金の捻出等がある。粉飾には幾つものテクニックがあるが、古典的なものは以下の通りである。まずは売上げの過大計上。例えば、架空取引による売上水増しがある。次に費用の過少計上である。棚卸資産の架空計上、減価償却方法の変更、前払費用等の費用項目の資産処理、貸倒れの過少見積り。他にも棚卸資産や有価証券、不動産等の不当評価、関連会社への実態の無い資産売却、といった特別利益の計上というものもある。1990年代の日本では、大手金融機関の損失隠しが次々と発覚した。アメリカではエネルギー産業の革命児、エンロンが時価主義会計を利用して利益を嵩上げし、損失は連結外のSPEに付け替えていた。老舗化粧品会社カネボウの売上高水増しや赤字関連会社の連結外し、在庫損失の未処理等による粉飾額は2000億円にものぼる。


  アメリカでは不正会計に対処する為、2002年7月にサーベンス・オクスリー法が、日本でも、2006年6月に内部統制を定める金融商品取引法が成立している。それでも細工は巧妙になり、いくら規制しても不正会計はなくならない。2007年3月25日、読売新聞は冷凍食品大手会社加ト吉とグループ会社間の循環取引疑惑を報じた。その後、6年間に1,061億円もの売上の水増しがあり、その結果在庫評価損30億円、回収懸念債権143億円が表面化した。同社は51年に渡り増収を続ける成長企業として人気銘柄だったが、信用は失墜し、上場廃止の上JTの完全子会社となった。東証2部上場のシステム開発会社ニイウスコーは2007年6月決算で、突如医療システム事業の撤退費用を計上し、302億円の赤字に転落、40億円の債務超過に陥った。実は同社は5期に渡り、実態の無い商品を取引先と仮装売買していたのだ。水増し累計額は売上682億円、純利益277億円にのぼる。上場後の2002年6月期の売上375億円は、2005年には倍の789億円にも増えたが、それは架空売上だったのである。2008年4月、同社は民事再生を申請。2010年8月、ワイン大手のメルシャンは決算修正を発表し、前期決算が赤字へ転落した。水産飼料事業部長らが、飼料販売先の養殖業者と空の発注を繰り返し、約65億円の架空利益計上に関与したのだ。同社は、キリンホールディングスの完全子会社となった。


  循環取引とは、複数の取引先が共謀して売買、業務委託等の発注を繰り返し、虚偽の売上を計上する事をいう。例えば、メルシャンのケースでは、同社が魚の餌を養殖業者B社に売ったという架空伝票を作成する。書類上商品はB社に移り、代金がA社に支払われる。そして今度はB社が同じ商品をC社に売った伝票を作り、C社から代金を受け取る。C社はメルシャンに製造委託された餌を販売した事とし、代金を受け取る。書類上は商品が移転しているように見えるが、実際には倉庫から一歩も出ていない。在庫転売や権利売買は商慣習上、許容される範囲がある為、翌期分まで出荷した商品を今期処理したり、逆に当期の仕入を翌期計上したり、としばしば操作の対象となる。IT業界では時代遅れのソフトが、循環取引用の商品としてよく使われる。商品が書類上移動する度に、幾ばくかのマージンが加えられる。加ト吉のケースでは、商品の1~2%だった。循環取引は自転車操業と構造が似ている。外見上売上高嵩上げは出来ても、現実の利益が無いのに、中間マージンを上乗せた商品を買わねばならないので、必ず最後に破綻する。それでも不正会計の事例に循環取引が多く登場するのには理由がある。大抵の不正会計は、担当者の関与の元に事務所内で行われるが、循環取引には外部に協力者がいる為、不正が発覚しにくいのである。人を騙して得られる利益がある以上、粉飾決算はなくなる事はない。


  不正を追う者には怠慢は許されない。湾岸署青島巡査部長の言う通りである。「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」
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