Let's go find out!
何度でも立ち上がる男メリーウェザー


  ここ数年気に入っているカリフォルニア料理のレストランは、静かな並木道に面したビルの半地下にある。テーブルの向こうに座るシックな黒いスーツが似合う背の高い彼女は、何度目かのキャリア・チェンジの話をしている所だ。
「不安な気持ちを抑えられないの。」彼女は知性も教養も、そして恵まれた容貌もある。それなのに、何時も何になりたいのか、わからなくなってしまう。「まずは信じることだよ。信じることは力になるからね。」すでにワインを1本空けて、ほろ酔いではあったが、彼女に役に立ちそうな話を探してみた。それは、信じることが出来る男の話である。


  「トレーダーの中のトレーダー」と称えられたジョン・メリーウェザーは、1947年シカゴのアイルランド移民居住区で生まれた。カトリックの両親の厳格な教育と地域コミュニティーの強い絆は、彼の内気で口数の少ない内に秘める際立った集中力と鉄の意志を鍛え上げた。数字の作り上げる構築美に魅せられたJMは、数学の教師になった後シカゴ大学へ進学した。当時のシカゴ大学は、新進の教授達が次々と学会をリードする理論を発表する熱気に溢れ、彼はそこで効率的市場主義の信奉者となった。テキサス・インスツルメンツが電卓を発売した73年、JMは攻撃的なディーリングで有名なソロモン・ブラザースに入社し、国債のトレーダーとなった。


  JMは、過去のトレンドや現在得られる情報から相場の流れを読んで勝負をする、という伝統的な手法ではなく、彼の信じる裁定取引によってトレーディングで成功できると考えていた。その理屈は、異なる種類や満期の債券の利回り格差が、一時的に変動しても、その後一定の時間がたてば、再び元に戻る、という債券の市場原理に基づいている。利回り格差が必ず収斂するならば、割高な債権を売って、割安な債権を買えば、必ず儲けることが出来る筈である。同じアイリッシュの伝説のファンド・マネージャー、ピーター・リンチがマゼラン・ファンドを任された77年に、JMは裁定取引の専門部署を設立する。同時期ルイス・ラニエリがソロモンで証券化ビジネスを立ち上げている。JMは大学で学んだ最先端の理論をビジネスにしようとし、実際そうした。彼は度胸が売りのギャンブラーの代わりに、彼に似た物静かな学者達を雇った。彼らには社の服装規定は適用されず、個人用ブースが与えられ、ひたすら裁定取引のためのモデルの構築に時間を費やすことと自由にアイデアを試すことが許されていた。
  80年代に6人だったJMのチームは90年には12人になった。チームの結束は固く、取引は好調で、90年に4億8500万$、91年には11億$を稼ぎ出した。しかし彼のソロモンでのキャリアは、91年に元部下ポール・モーザーが犯した国債の不正入札事件で終わる。当局から制裁を受け、存亡の危機に陥ったソロモンは、大投資家ウォーレン・バフェットの庇護の元に逃げ込んだ。人並み以上に倫理観の強いJMは、自身に何の非もなかったが、見せしめのため18年働いたソロモンを追放された。


  屈辱にまみれた彼は、再起の準備を始めた。今度は投資銀行という大組織ではなく、自由なヘッジ・ファンドで自分の確信を立証しようと考えた。93年8月JMは、ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)を結成する。ファンドには、高額の給料を捨てて駆けつけた子飼いの部下達の他に、73年に有名なオプション評価モデルを発表したマイロン・ショールズ、と97年に共にノーベル経済学賞を受賞するロバート・マートンの2人の高名な学者と元連邦準備制度理事会(FRB)の副議長デビッド・マリンズが参加した。ウォール街のカリスマ・トレーダーが取引のアイデアを考え、ノーベル賞学者がプログラムを作り、ファンドの顔は中央銀行の元首脳が勤める。
ドリームチームと呼ばれたLTCMは、借入も含めて1250億$もの資金を運用し、米国債の金利が5%前後の95年に43%、96年には41%という、驚異的な運用利回りを達成した。しかし運命の98年、アジアに始まった通貨危機は世界中の市場を次々と破壊し、8月ロシアが債務不履行に陥るとリスクマネーは質への逃避を始めた。市場は裁定機能を失った。債券間の利回り格差は拡大し、しかもそれはJMが信じたように、いつになっても元の姿に収斂することはなかった。ポートフォリオに致命的な打撃を受けたLTCMの危機的状況が明らかになった9月下旬、全世界的な金融システム崩壊の恐怖に駆られたFRBの呼びかけにより有力金融機関が36億$もの資金をつぎ込み、LTCMは屈辱的な救済策を受け入れることになった。


  JMは罵詈雑言の嵐の中にいた。2度目の挫折と絶望の日々である。だが総ての負債を黙々と返した彼は、再び資金集めを始める。投資家の心変わりは早い。僅か1年前までは、「資金を運用して欲しい」と懇願していた世界中の投資家が、今度は「何しに来た」と疫病神扱いをする。彼は言い訳を並べる代わりに、「また同じことをやります。」と言って、頭を下げて回った。2000年8月フィナンシャル・タイムズは52歳になった彼が、JWMパートナーという会社を立ち上げ、投資業界に復帰したことを報道した。集まった資金は4億$(約430億円)。最初の期の運用成績はSP500の騰落率を上回る6.72%。JMは今も自分のスタイルでトレーディングを続けている。


  JMの人と成りを表現する記述が小説「ライアーズ・ポーカー」の中にある。それはこのような文章だ。「彼は、おびえと強欲というトレーダーにとっては命取りの2つの感情を、並外れた自制心で抑えることができた。そのせいでひたすら私利を追求する人間には珍しい気品を感じさせるのだろう。」


  「ありがとう。でもそれはやっぱり男の人の話かも。」彼女は育ちの良さを伺わせる上品さと、同時にある種の儚さを感じさせる気弱な微笑みを浮かべた。そろそろ引き上げ時である。もう少し彼女に何か言ってあげられることはないかと考えてみた。「きっと試してみる価値はあるよ。」


inserted by FC2 system