Exile On The Main Street
〜帝王マイケル・ミルケンとジャンクボンド 〜


湾岸の青海埠頭の公園から沖を眺める。中央防波堤の向こう側には、一面のゴミの山が広がっているはずだ。ところが、これが宝の山に見える人間もいるようだ。しばらく前に雑誌で読んだのだが、こんな話しがある。携帯電話、PHS、ポケットベルなどの部品の中には微量の貴金属が含まれている。塵も積もれば山となるとは言ったもので、7万台の携帯電話を集めると1kgの金がとれるという。1tあたりの金の含有率は150g、標準的な金鉱石からは1tあたり5g、現代の最も代表的な鉱山、南アのウィットウォータースライダーですら6〜24g、最も良質の鉱山、例えば1985年に発見された鹿児島県の菱刈鉱山でさえ100gである。この金脈を見つけだしたのは昭和33年創業の横浜金属という企業である。現在彼等は年間300万台の廃棄された携帯電話から金45kg、銀900kg、パラジウム30kgを取り出しているという。

金融の世界で文字通り屑を金に変えた、現代の錬金術師が「ジャンクボンドの帝王」マイケル・ミルケンである。
彼はドレクセル・バーナム・ランベール(DBL)という証券会社で、たった1人でこのジャンクボンドの市場を創り上げた男である。

ジャンクボンドの話しをする前に、まず債券のことを話しておこう。
企業が資金調達をする方法には株式の発行と借入があり、借入は金融機関からの借入と債券の発行に分けられる。投資家にとっては株式も債券も利益を生み出す有価証券、という同じ性格を持っている。しかし発行体である企業にとっては株式が会社の所有権そのものであるのに対して、債券は銀行借り入れと同様に債務の一形態である。つまり債券とは、政府や企業等の市場から直接資金を調達するために発行する額面、クーポン、償還期限が明記された借用証書である。
それは通常年2回の利払いを行い、3年から20年後に償還され、機関投資家向けに100万$単位で販売される。信用力のある大企業は、低利な資金を銀行から借り入れる、しかしこうした企業はなかなか今以上には成長しないので投資対象としての妙味は少ない。一方お堅い銀行が金を貸したがらない2つののタイプの企業がある。すなわち、小さくて新しい企業と問題を抱えた古い大企業である。前者は当たればその成長はすさまじい、後者はあまりに利害関係者が多く実際にはそれほど倒産しない。
日本の建設会社をみていればわかりやすいだろう。ジャンクボンドとは、まともな銀行に相手にされないような企業の発行する、投資不適格という格付けをされた、若しくは、はなから格付けなどついていない債務不履行の可能性の高い危険な高利回りの債券である。しかし危険な債券であっても、その総てがデフォルトする訳ではない。賢い投資家ならば綿密な企業分析と統計的な確率計算をし、比較的償還の可能性の高い銘柄を多数集めて分散投資すれば、いくつかの銘柄が債務不履行に陥っても十分に元本を保全した上で、余りある収益を上げることも可能となるのである。
うまくいけばAAA格の低利の債券への投資と同じくらい安全で、リターンははるかに大きくなることも有り得る。しかも、業績が良くなって資金の余裕が出来ると、企業は期間前償還しようとするので債券の価格は上昇する。
業績が悪化するとデフォルトの可能性が高まるので債券価格は下落する。
つまりジャンクボンドの価格は株式によく似た動きを見せる、という他の債券と異なる性格を持っている。では株式に投資した場合と比較するとどうか。いくら努力をしたところで将来の株価を予測することは不可能である。しかし債券の場合は、事前の調査・分析が正しければ、将来の償還の日には思惑通りの高利回りを得られ、しかも元本も補償される。

1970年代からミルケンは、誰も見向きもしなかったジャンクボンドの可能性を見出し、ねばり強くこの市場を育てていく。彼はまだ暗い早朝の通勤バスの停車場に飛行帽にヘッドライトいう異様な姿で現れ、車中でも寸暇を惜しんで仕事に没頭した。企業の財務諸表や債券の発行目論見書の山の中から有望銘柄を発掘し、投資家へ推奨する。中には発行体が破産寸前で額面1$に対して10Cという価格のものさえあったが、彼のアドバイスに従った者の得た利益は大きかった。次に彼がしたことはジャンクボンドに市場性を与えることであった。彼は売却を希望する投資家には、必ず価格を出した。当然顧客の買値と同じというわけにはいかなかったがビッドには違いはない。こうして保険会社、S&L、ミューチュアル・ファンドが顧客になり、ジャンクボンドはDBLの収益基盤となった。1974年に彼は、調査、セールス&トレーディングの専門部隊を創設し、ウォール街を離れ、カリフォルニア州ビバリーヒルズのウィルシャー通り9560にある白い5階建てのビルに拠点を築く。当初彼が扱っていたジャンクボンドは、大幅に値下がりした「墜天使」と呼ばれるものであったが、77年になるとリーマン・ブラザースがオリジナル・ジャンクボンドを売り出す。
すかさずミルケンはDBLの投資銀行部のフレッド・ジョセフと共に新規発行業務にも積極的に関与し、同年7件、1億2450万$のボンドを引受た。DBLはその強力な販売力により、間もなく発行部門でもシェアトップに躍り出る。
彼は市場に存在するジャンクボンドの総てを把握していたので、 好きなように引受手数料を設定できた。DBLはこの分野ではファースト・ボストン、モルガン・スタンレー等の大手証券会社を遙かに引き離してトップを独走する。
ミルケンの功績によりジャンクボンドの市場は急激に拡大した。
81年8億3900万$の発行額は、85年には85億$になり、87年には120億$にもなった。かつてジャンクボンドは需要がないので安かった。
しかし80年代になると需要は急速に拡大する。ミルケンはジャンクボンドを供給する方法を考えねばならなくなった。

やがてミルケンは、もっと重要なことを見つけ出した。アメリカの投資銀行の世界では、企業は長い間株式担当者の縄張りだった。しかし利益処分において債券は株式に優先する。つまりある企業の負債をコントロール下におくことは、実はその企業を支配することとほぼ同じなのだ。
ミルケンは企業の支配者となった。その一方で新興の企業家にとっては、ジャンクボンドはローンのような束縛のない長期、劣後の資金であり、なおかつ株主の持分を薄めることなく資金調達が出来るという利点がある。
ミルケンは「企業を社用族の手から企業家にとりもどす」という信念に基づき、企業買収の強力な武器としてジャンクボンドの大量供給を始める。
その恩恵を受けたのが、米国版総会屋グリーンメーラーのT・ブーン・ピケンズ、アービトラージ業者カール・アイカーン、乗取屋のロナウド・ペレルマン、LBOファンドのKKR等の泥棒男爵達である。
83年には今や全米第2の通信会社となったMCIのために10億$を調達。
86年秋には墓場のダンサー、サミュエル・ゼルの企業買収のために5000万$の資金調達を行った。メディア王ルパート・マードックがメトロメディア社からTV局を買うのを助けたのもミルケンである。80年代は後に「負債の時代」と呼ばれるようになる。

ミルケンと彼のチームは午前5時にはビバリーヒルズのオフィスに出勤し、1日に15時間働いた。当然リターンもでかい。年収は少なくとも6000万$と言われ、長者番付の上位が彼の定位置となった。ミルケンのチームは誰よりも大きく稼ぎ、その裏で法律や規則というものが目端の効かない者のためにあるかのように、数多くのルールを踏みにじった。
「我々はあなた方のお役に立つ事が出来ます。」という台詞と共にDBLの
営業マンは現れる。実際彼等は役に立った。彼等は、安眠をむさぼっていた支配階層にとっては危険な成り上がり者であり、旧世界の常識に敬意を払うようなことなどなかった。信用分析、条件設定、そして証券取引法第3条(a)-9、等彼等は次々と新しい抜け道を見つけ出した。
ドレクセル以外の業者のジャンクボンドが10%台のデフォルトをしている時、彼等のボンドのデフォルトは2%にも達していなかったし、ミルケンは一度約束した取引の金額を下方修正したことなどなかった。他の誰も真似ることの出来なかったことは、ジャンクボンド・ネットワークによる資金調達能力である。
ミルケンは彼の顧客を組織化することにより、わずか一夜で数十億$もの金を集める仕組みを創りあげたのである。CNNで有名なテッド・ターナーはMGMの買収資金をゼロ・クーポン債で調達、85年には有名なペレルマンによる大手化粧品メーカーレブロンの買収、89年には史上最大のLBOと言われたKKRによるナビスコ買収など、DBLが無担保の劣後債で資金を供給したことによって、これまで蔑まれてきた野心家達による支配者階層への挑戦が可能となった。尤もこれにはトリックがあった。つまり顧客はいつも必要額以上のボンドを発行させられ、余った資金で他のジャンクボンドを買わせられるのだ。ミルケンは秘密主義者でありしかも、競争相手には容赦なかった。ドレクセルは文字通りやりたい放題やった。
ウィックス社の1件では当時最強だったソロモンを追い出し、レブロンの乗取りでは単独幹事にこだわる伝統的世界の王者モルガン・スタンレーを屈服させ、グッドイヤーの防衛では誇り高いゴールドマン・サックスに席を譲らせた。発行者と投資家の双方を握ったミルケンは無敵だった。
1977年DBLの営業収入は1億5000万$に過ぎなかった。87年には営業収入40億$、税引き後の純収益も5億4550万$となり、ついに全米第1位の高収益を誇る証券会社になった。

しかしサクセス・ストーリーにも終わりの日がやってくる。
86年のボウスキー事件に関連して、88年9月証券取引委員会(SEC)はDBLとミルケンを価格操作及びインサイダー取引容疑で告発する。さらに90年2月ジャンクボンドの価格急落に伴う資金繰りの悪化によりDBLは倒産し、ウォール・ストリートの歴史の1ページとなった。
「負債の時代」を演出したDBLの残した債務は30億$であった。90年11月ミルケンは禁固10年の実刑判決を受け、塀の向こう側へ消えた。

最近ではハイ・イールド・ボンドという耳障りの良い名前に改められたが、ジャンクボンドはその総てが文字通りの「屑」ではない。
中には立ち上げたばかりの、信用力に欠ける少し前のヤフーやアマゾンのようなスタートアップカンパニー達が隠れているのだ。1999年現在アメリカは再び盛り返してきている。しかし繁栄するアメリカを支えているのは、GMでもエクソンでもIBMでもない。かつてのブルーチップ銘柄に変わり主役の座に踊りでたのはR128号やシリコン・バレーから登場した小さなベンチャー企業群である。 DBLがやってきたことは、低格付企業の負債の証券化である。ジャンク・ボンドが彼等への資金調達を担った、という功績は評価すべきであろう。DBLの倒産時急激に縮小したジャンクボンド市場は、92年には回復を始め、発行額は現在も増加している。
この世には、処理に困るほどゴミが溢れている。それが宝の山に見えないのは我々にイマジネーションが欠如しているのからだろうか?
それとももっと重要な何かが欠けているのか?

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